「すごい!」を飲み込んでみたら。”肯定的な実況中継”が子どもの心に響く理由
こんにちは!
はちボド×Asobibaのまっすーです。
ぼくは普段学童保育で働いているのですが、保育の現場に立っていると、つい口癖のように出てしまう言葉があります。
「すごいね!」
「よくできたね!」
子どもたちの頑張りを見つけると、つい最大限の明るい声でプロの「褒め言葉」を投げかけてしまいがちです。
もちろん、それが子どもの自信になることもあります。
でも、ふとした瞬間に感じるのは、そのキラキラした言葉が、プレッシャーになったり、大人の顔色を伺う合図になったりしていないだろうか、って。
「結果じゃなくて、プロセスを褒めよう」 そんな教科書通りのアドバイスも頭をよぎりますが、あえてぼくは、もっと手前のことを試してみることにしました。
それは、これ見よがしに褒めるのをやめ、今この瞬間の彼らの姿を「暗に肯定する」こと。
特別な評価を一切挟まず、ただ目の前の事実を淡々と伝える「実況中継」という、小さなお試しです。
おもちゃを片付け始めた子がいれば、「〇〇くん、おもちゃを箱に入れているね」。
座って本を読み始めた子には、「△△ちゃん、今、本を開いているね」。
「すごい」という魔法の言葉をぐっと飲み込んで、ありのままの姿を言葉の鏡に映してみる。
そんな小さな実験から見えてきた、子どもたちの意外な反応をお話しします。
「あれ、響いてない?」という不安の先に見えたもの
「うん」
子どもたちからの返事は、拍子抜けするほど短いものでした。
正直に言うと、最初は「あれ、全然響いてないんじゃないか?」と、内心かなり焦りましたよね…。
せっかく意気込んで「実況中継」を始めたのに、手応えがなさすぎて「これ、独り言みたいになってないかな……」と不安になったんです。
でも、しばらくこの「実況中継」を続けているうちに、ふと感じるようになりました。
この、盛り上がりも何もないことこそが、子どもたちにとっての「安心の土台」になっているんじゃないか、と。
ぼくの声かけは、彼らにとって「よくやった!」という評価のご褒美ではなく、ただ「それでいいんだよ」という確かな安心感として届いている。
派手な喜びの反応は返ってこないけれど、心の底では、子どもたちは自分の存在そのものが認められていると感じているのかもしれない。
大きな刺激ではないけれど、地面にじわーっと水が染み込んでいくような、そんな地味で、でも欠かせないやり取りのように思えてきました。
「かっこいい」が、なんだか白々しく感じた瞬間
ある日、実験を続けながらも、心のどこかで「もっと手応えが欲しいな」という欲が出てしまったことがありました。
思わず、「お、かっこよく本が読めてるじゃん!」と、以前のようなテンションで声をかけてみたんです。
すると、その子は一瞬こちらをチラッと見ただけで、特に嬉しそうな顔もせず、またすぐに本に目を戻しました。
その時、なんだかぼくの言葉だけがその場の空気から浮いていて、すごく「白々しいもの」に感じられたんです。
子どもたちって、本当にかしこいですよね。
「別にすごいことしてるわけじゃないのに、なんでそんなに褒めるの?」とか、「そんなに『かっこいい』って言われても、自分ではそう思わないんだけど……」なんて、大人の下心っていうんですか?
それを見透かされているような気がしました。
そこでハッと気づいたんです。
「かっこいい」という言葉は、結局のところぼくのさじ加減で決まる「評価」でしかありません。
極端な話、小学生にもなって「〇〇くん、かっこいい姿を見せてよ!」なんて盛り上げるのは、やっぱりどこか違和感があります。
本当にすごいと思った時に心の底から出る言葉なら届くけれど、場をコントロールしようとする「口先だけの褒め言葉」は、子どもたちの強い察知能力にかかれば、すぐに見破られてしまうんですよね。
(少なくともぼくはすぐにバレてしまいました(笑)
「本を開いたね」「ページをめくっているね」という事実の「実況」と、「かっこいい」という「評価」。
この二つの間には、思っていた以上に大きな壁がありました。
大人の安易な「すごい!」は、子どもが自分自身で「あ、今これできてるな」と静かに感じ取る大切な時間を、邪魔してしまっていたのかもしれません。
「すごい!」のご褒美よりも、じわじわ効いてくるもの
「おもちゃを片付けているね」
「座って本を読んでいるね」
これらの言葉には、大人の「こうさせたい」という意図や、良い・悪いの評価が入っていません。
ただ、”鏡”のように今の姿を映しているだけです。
でも、この”鏡”があるからこそ、子どもたちは、
「あ、自分は今、片付けをしているんだな」
「自分は今、本に集中しているんだな」
と、自分の行動を客観的に確かめることができます。
この”自分の行動を自分で認める”という小さな積み重ねこそが、「自己効力感(自分はやればできるという感覚)」を内側から育てていく土台になるんだな、とぼくは感じています。
「すごい!」と褒められたときのパッとした喜びも、もちろん大切です。
でも、日常の「実況中継」は、もっと地味に、でも確実に染み込んでいくような役割があるのかもしれません。
すぐには目に見える変化がないので、ぼくたち大人はつい焦って「もっと褒めて動かそう」としてしまいがちです。
でも、そこをぐっとこらえて見守ることで、子どもたちは誰に言われるでもなく、自分の中から「やりたい」という意欲(内発的動機づけ)を少しずつ引き出していく。
「すごい!」という言葉を封印し、子どもたちの「今、できていること」を、ただ、ありのままに言葉にして伝えていく。
その静かなやり取りこそが、子どもたちが自分の価値を認めて、自分の足で未来を歩き出すための、一番確かな土台になるとぼくは確信しています。

